国鉄時代の車両と風景(70年代前半)
~国鉄無煙化計画の最後の5年間~
(尚、下記にテーマ別写真の一覧表と車両数推移グラフを用意しています。)
当サイト内の画像サンプルです。気が向いた時に差し替えます。
<ご挨拶>
このHPは、1970年代前半、国鉄時代の列車風景をスナップしたものです。
当時SLブームの中、蒸気機関車を追い求めた北海道を中心とするSL記録写真と
、新幹線の博多開業前後までの東京南部での車両の走行写真が二つの柱とな
っています。
尚、東京南部とはいえ、ほとんどが蒲田付近での撮影ですが、今では本線を
金網越しに見るか、全く立ち入り不可能な所からの写真であり、今はもう当
時の面影はありません。寂しいものですが、時の流れには抗いようもありま
せん。
さて、玉石混交の写真の羅列ではありますが、70年代当時の国鉄を主体とし
た風景と空気感を味わって頂ければ幸甚です。
ご興味のある方は、下のテーマ別一覧よりお好みのページへお入り下さい。
尚、当時の稚拙な録音が出てきましたので、こちらも一度聞いてみて頂けれ
ば幸いです。
~下の★各テーマ庫★からどうぞ~
NEW!!ちょっとjavascriptを利用してみました。2012.9.1
(とは言え、色々なサイトで公表しているサンプルコードを使わして頂いたものです)
★本線上の電気機関車(テーマ庫)★ |
東海道寝台特急 | 東京駅夜行列車ホーム | 急行「桜島・高千穂」 | 旧型旅客用電機 |
旧型貨物用電機 | 当時の新型電機 | EF58寝台列車 | EF58荷物列車 |
特急列車運転系統図 | ******** | ******** | ********* |
★70年代前半の新旧電車(テーマ庫)★ |
70系,72系,80系 | 17m車,3扉車 | 特急(ボンネット型) | 特急(前面貫通型) |
特急(157系) | 急行,普通電車 | 特殊車両 | 修学旅行用 |
103系全盛 | 蒲田電車区 | ****** | ****** |
★私鉄線懐想(テーマ庫)★ |
東急旧3000系 | 小田急旧型特急等 | 銚子電気鉄道 | 日本鋼管廃車SL |
西武山口線 | ******** | ******** | ******** |
◆つれづれの鉄記◆(ご意見・ご感想もこちらから)2012.6.8更新(明治から昭和へ鉄道路線網変遷)
●当HPは2011年11月15日開設です●
~ご参考データ(各車両数推移グラフ)~
ご参考までに、国鉄・JRの車両数の変遷を車種別に示したのが下図です。
これは国鉄・JRの動力近代化の軌跡というべきかもしれません。
尚、この数値はインターネット上にPDFで公開されていたものですので、ご存知の方も多かろうと思います
が、グラフにして見ると一目瞭然ですね。
ちなみに、昭和32年が、国鉄動力近代化計画スタートの年です(第1次5ヵ年計画)。その後国会決議を経
て昭和35年に国鉄経営改善の新5ヵ年計画実施が公表されました。言わば無煙化元年であり、鉄道の
現在の姿を決定した重要な年でもあります。
対象期間は昭和30年から平成20年までです。先ず、全体の傾向です。
貨車は大激減です。コスト面や利便性からトラック・船舶輸送に市場を奪われてしまいました。
当時、国鉄でも輸送サービスの改善を図っていました。例えば物資別貨車というものがあります。1971年当時の数値では、
コンテナ車4,680両・穀物用851両・自動車用904両・生石灰用1,411両・チップ用2,334両・冷蔵車4,521両・石炭車6,200両
長物車2,977両などです。企業所有の貨車も多く2万両近く在籍し、その多くはタンク車17,370両・ホッパ車1,780両でした。
貨車を車種別に見ると、有蓋車(ワ)76,149両・無蓋車(ト)35,610両・石炭車(セ)6,200両・コンテナ車(コ)4,680両・冷蔵車
(レ)4,521両・有蓋緩急車(ワフ)3,346両・長物車(チ)2,977両・車掌車(ヨ)2,413両などが数量的上位車です。
両数は少ないながら、面白いところでは陶器車(ポ)289両・家畜車(カ)166両・土運車(リ)103両・豚積車(ウ)22両などが
あります。有蓋車・冷蔵車はさしずめ現在では宅配トラックに置き換わったというところです。
尚、貨車の荷重トン数の表示はご存知の通りム,ラ,サ,キですが、表示記号なしの貨車は13トン以下になります。ここで今更
書くことでもありませんが、敢えて・・・ム:14~15トン、ラ:17~19トン、サ:20~24トン、キ:25トン以上、となります。
これらを駆使していたわけですが、1971年度の貨物輸送シェアは18%(613億トンキロ)で1955年度の52%から長期低落傾向は続い
ていました。ちなみに同年度のトラック輸送はシェア43%(1,427億トンキロ)、内航海運はシェア38%(1,277億トンキロ)です。
さて、ここから貨車を除くと下図のようになります。
もう電車化完了というところでしょう。機関車が牽引する列車は事実上JR貨物とイベント列車位でしょうか。
70年代初期(1971年)には多くの客車がまだまだ健在でした。普通車(ハ):5,305両・B寝台車(ハネ):925両・荷物車(ニ):836両
・グリーン車(ロ):212両・A寝台車(ロネ):182両・郵便荷物車(ユニ):147両・郵政省所有郵便車(ユ):159両などです。食堂車(シ)
もまだ79両が現役でした。一方、電車では電動制御車(クモ):1,831両、中間電動車(モ):4,827両、制御車(ク):3,138両、付
随車(サ):1,892両とこんな具合です。新幹線は1,214両(内,事業車10両)が東海道を疾駆していました。また、電化率は29.9
%であったため気動車も5,000両を超える車両が全国を駆け巡っていた時代です。
ついでに再び基本的な事・・・客車の重量記号はコ,ホ,ナ,オ,ス,マ,カ。それぞれ、コ:22.5トン未満、ホ:22.5~27.5トン、ナ:27.5~
32.5トン、オ:32.5~37.5トン、ス:37.5~42.5トン、マ:42.5~47.5トン、カ:47.5トン以上、オハ,スハは各地でみられましたが、コハやホハ
などは見たことがありません。重量級ではマニ,カニなど荷物+電源車でよく見かけられました。
当時の国鉄旅客輸送シェアは31%(1,903億人キロ)、乗用車(2,116億人キロ)に既にtopの座を譲っています。他ではバスが1,008億人キロ
で私鉄が989億人キロ、という状況でした。(1955年の国鉄シェアは55%)
次に機関車だけを見てみます。
機関車は平成20年で1000両強。今は1000両を割り込んでいるかもしれません。昭和30年からは約1/5にまで減少して
しまいました。寂しい限りですが、客車・貨車がこれだけ減少すれば致し方ありません。
ところで、1970年代前半は蒸気機関車引退という動力大転換の時期に当たります。1970年から75年の5年間で電気機関車
が約200両純増、デイーゼル機関車は約1,000両の純増でしたが、皮肉なことに両機関車共にこの時期が最盛期であり、その
後は電車化・気動車化の波に洗われて行きます。
しつこいですが次は旅客車だけの推移です。
平成20年の客車数438両。1970年と比較すると両数は1/20、気動車も半減しました。電車は倍増で旅客車全体の90%を
占有するまでになりました。
70年代は色々な意味で大きな過渡期でしたが、鉄道もまた前近代と近代が入り混じるという点では、面白い時期であっ
たと思えます。
最後に、動力集中型と分散型の状況です(電車化,気動車化と同義です)。
これで短区間の折り返し運転体制ができあがりました。普通列車や急行列車で乗り換えなく鉄道での旅情を味わうこ
とはもうできなくなってしまいましたね。乗り継ぎの連続も気分転換になっていいかもしれませんが・・・
このような変遷の中、昭和45年から昭和50年にかけての時期の鉄道風景がこのサイトのメインテーマです。
曾てあった多くの路線は経営上の理由から廃線または第三セクター化されました。その第三セクターの鉄路も独立採算のために
は自治体などの補助金を必要としています。これはプロスポーツや芸術・文化団体と同様の構造です。独立採算とは名目上
の事といってもいいでしょう。
ちなみに、鉄道100年であった1972年の国鉄営業路線は242線20,836.2km。そのうち営業係数100以下の線区(黒字線)
は7線、2,307.2kmです。黒字7線の内訳は、新幹線・山手線・高崎線・山陽本線・東北本線・総武本線・大阪環状線
なっています(数字でみた国鉄より)。
あたりまえですが、すべて大都市圏かそれを含む路線です。勿論新幹線は東海道のみです。かなり以前から鉄道だけで
の採算性維持は不可能な時代に入っていましたが、その公共性を度外視した方向への流れには疑問を抱きます。
そもそも社会インフラとしての鉄道については、損益至上主義には馴染まない事業だと思いますが、いかがでしょう。
これも懐古趣味的といえばそういうことになります。
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