東京駅夜行列車ホーム(国鉄時代の東京駅風景)

(70年代前半、14番線・15番線に張り付きました。新幹線岡山延長直前です)

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<さくら>
◎電機列車さくら1970年代前半の記録写真です
東海道寝台特急
東京駅夜行列車ホーム
急行桜島高千穂
旧型旅客用電機
旧型貨物用電機
当時の新型電機
EF58寝台列車
EF58荷物列車
特急運転系統図

1972年3月4日東京駅15番線、列車番号1、20系寝台特急「さくら」から旅立ちます。



さくら

同日,16時8分入線、電源車はカニ21です。



さくら

同日,牽引機はEF65 510、ガッチリと手を繋ぎました(さくら)。



さくら

同日,牽引機のヘッドマークです。



さくら

同日,最後尾ナハネフ22、通常通り。



さくら

同日,1〜7号車までは長崎行のため、非流線型の7号車ナハネフ21(車掌室付)



さくら

同日,8〜14号車は佐世保行。九州の肥前山口で各々我が道をいきます。



さくら

同日,定刻の16時40分出発しました。



<みずほ>
みずほ

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号3、20系寝台特急「みずほ」(尚,下りは全て列車番号奇数です)



みずほ

同日,16時40分入線、牽引機はEF65 528(みずほヘッドマークは反対側にちゃんと付いてます)。



みずほ

同日,電源車はカニ21。



みずほ

同日,機関車が有楽町側に移動。



みずほ

同日,最後尾ナハネフ22。



みずほ

同日,定刻17時、熊本へ旅立ちました。



<はやぶさ>
はやぶさ

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号5、20系寝台特急「はやぶさ」



はやぶさ

同日,17時39分入線、牽引機はEF65 536、電源車はカニ21。



はやぶさ

同日,最後尾ナハネフ22。



はやぶさ

同日,この列車も1〜7号車が西鹿児島へ、8〜14号車が長崎へ、鳥栖で分離です。



はやぶさ

同日,定刻18時、静かに発車して行きました。(はやぶさ)



<富士>
富士

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号7、20系寝台特急「富士」(大分・宮崎経由)



富士

同日,18時12分入線、牽引機EF65 526。



富士

同日,電源車カニ21。



富士

同日,最後尾ナハネフ22。



富士

同日,定刻18時30分間近、別れを惜しみます。



<あさかぜ1号>
あさかぜ1号

1972年3月4日東京駅15番線、列車番号9、20系寝台特急「あさかぜ1号」



あさかぜ1号

同日,18時36分入線、牽引機EF65 527、電源車カニ21。



あさかぜ1号

同日,最後尾ナハネフ22、利用者が多いですね。定刻18時50分に無事出発でした。



<あさかぜ2号>
あさかぜ2号

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号11、20系寝台特急「あさかぜ2号」



あさかぜ2号

同日,18時50分入線、牽引機EF65 507



あさかぜ2号

同日,電源車カニ21。



あさかぜ2号

同日,最後尾ナハネフ22。名称板が見えませんが「あさかぜ」です。19時10分定刻発車確認!



<あさかぜ3号>
あさかぜ3号

1972年3月4日東京駅15番線、列車番号13、20系寝台特急「あさかぜ3号」



あさかぜ3号

同日,18時57分入線、牽引機EF65 529、電源車カニ21。



あさかぜ3号

同日,最後尾ナハネフ22。車両全面窓枠上にレンズフィルターの影響で「あさかぜ」の反転文字が・・



あさかぜ2,3号

同日,あさかぜ2号,3号の発車時差は5分なのでホーム両側に20系が並んでいます。



〜急行出雲〜
寝台急行「出雲」

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号33、10系寝台急行「出雲」、19時14分入線。 



寝台急行「出雲」

同日,牽引機EF58 165、普通座席のグリーン車が2両先頭に組み込まれています。



寝台急行「出雲」

同日,ちょっとブレましたが急行出雲のサボです。



寝台急行「出雲」

同日,普通座席のグリーン車スロフ62です。



寝台急行「出雲」

同日,食堂車オシ17は11両編成中9号車に付いていました。



寝台急行「出雲」

同日,急行出雲の最後尾です。



〜急行瀬戸〜
寝台急行「瀬戸1号」

1972年3月4日東京駅14番線、列車番号35、10系寝台急行「瀬戸1号」、19時38分入線。 



寝台急行「瀬戸1号」

同日,牽引機EF58 57、普通座席のグリーン車は1両のみです。



寝台急行「瀬戸1号」

同日,先頭は郵便車1両、列車入線から発車までの27分間で積込みです。



寝台急行「瀬戸1号」

同日,急行瀬戸のサボ。郵便車を除くと全12両編成でした。



寝台急行「瀬戸1号」

同日,急行瀬戸1号のビュッフェ車オシ16。車内の職員が楽しそうです。



寝台急行「瀬戸1号」

同日,急行瀬戸1号の寝台車です。



寝台急行「瀬戸1号」

同日,急行瀬戸1号の最後尾です。



寝台急行「瀬戸2号」

1972年3月4日東京駅15番線、列車番号39、10系寝台急行「瀬戸2号」、20時09分入線予定。



寝台急行「瀬戸1号」

14番線には瀬戸1号が出発時刻を待っています。15番線は瀬戸2号の入線を待ち受けていました。



寝台列車編成車両

上記の写真を撮った日に編成されていた車両です。



東京機関区所属機関車の変遷

当時の優等列車牽引機の東の拠点基地、東京機関区の機関車変遷です。



ここで終わりです。なんと中途半端な、とお叱りを受けそうです。なにせ当時中学生でしたから
飽きてしまったんです。今思えばもったいないことをしました。              
取り敢えずこの先のことを当時の時刻表で調べますと、瀬戸1号が20時5分に発車したあと、同じ
14番線に急行紀伊が20時18分に入線し、20時30分に発車。その後、先に入線していた瀬戸2号が 
20時45分に発車。ちょっと時間をおいて、21時45分銀河1号、22時34分銀河51号、22時40分銀河2
号、23時30分に普通電車大垣行発車、となって夜行物語は完結します。20時55分発の急行長州と
いう電車がありましたが、季節列車だったためにこの時は運休中だったようです。            
ま、20系時代の寝台特急は全部抑えましたから、これでよしと自らを慰めるしかありませんね。
このページをご覧になった皆様、大変お疲れさまでした。心より御礼申し上げます。      

尚ここで列車番号について一言。当時東京発の東海道本線列車では、寝台特急は1から、長距離 の客車急行は31から、定期運用の急行銀河は101から、そして急行紀伊は201列車となっていまし た。従って夜行急行出雲の列車番号33の前には、昼11時10分発の急行「桜島・高千穂」に31の列 車番号が付与されていました。ただ瀬戸1号の列車番号35と瀬戸2号の列車番号39との間の37列車 が欠番状態だったことになります。1971年3月の時刻表まで遡っても同じでした。やはり1970年 10月のダイヤ改正で廃止になった急行あたりが本星ですかね・・・ということで、1970年の改正 で寝台急行「安芸」の始発駅が東京から大阪に変わり、電車化されていました。東京発の時の列 車番号は「37」でした。列車番号37は客車寝台急行「安芸」とともに消滅していたのです。 (注:「桜島・高千穂」は72年3月15日のダイヤ改正でAM10時発になりました)


ここは
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