ここで終わりです。なんと中途半端な、とお叱りを受けそうです。なにせ当時中学生でしたから
飽きてしまったんです。今思えばもったいないことをしました。
取り敢えずこの先のことを当時の時刻表で調べますと、瀬戸1号が20時5分に発車したあと、同じ
14番線に急行紀伊が20時18分に入線し、20時30分に発車。その後、先に入線していた瀬戸2号が
20時45分に発車。ちょっと時間をおいて、21時45分銀河1号、22時34分銀河51号、22時40分銀河2
号、23時30分に普通電車大垣行発車、となって夜行物語は完結します。20時55分発の急行長州と
いう電車がありましたが、季節列車だったためにこの時は運休中だったようです。
ま、20系時代の寝台特急は全部抑えましたから、これでよしと自らを慰めるしかありませんね。
このページをご覧になった皆様、大変お疲れさまでした。心より御礼申し上げます。
尚ここで列車番号について一言。当時東京発の東海道本線列車では、寝台特急は1から、長距離
の客車急行は31から、定期運用の急行銀河は101から、そして急行紀伊は201列車となっていまし
た。従って夜行急行出雲の列車番号33の前には、昼11時10分発の急行「桜島・高千穂」に31の列
車番号が付与されていました。ただ瀬戸1号の列車番号35と瀬戸2号の列車番号39との間の37列車
が欠番状態だったことになります。1971年3月の時刻表まで遡っても同じでした。やはり1970年
10月のダイヤ改正で廃止になった急行あたりが本星ですかね・・・ということで、1970年の改正
で寝台急行「安芸」の始発駅が東京から大阪に変わり、電車化されていました。東京発の時の列
車番号は「37」でした。列車番号37は客車寝台急行「安芸」とともに消滅していたのです。
(注:「桜島・高千穂」は72年3月15日のダイヤ改正でAM10時発になりました)