70年代初期、まだC62の牽引する急行ニセコが居た頃、函館まで走り抜いて来たC62は、ここ五稜郭機関区
で休息していました。五稜郭区にはD52もいます。客・貨の両巨頭が同時に存在する風景は、まるで蒸
気機関車全盛期の如くです。残念ながらまともな写真は撮れませんでしたが・・・。
夕方に五稜郭入りしたC62は翌早朝大沼まで単機回送され、大沼から函館までの普通列車も牽いていま
した。そして午後に再びニセコの先頭に立って小樽へと向かう運行だったのです。
C62引退後にも五稜郭区にはD52が残りました、江差・松前線のC58と共に。そのような最晩年の五稜郭
機関区の風景です。
●五稜郭機関区所属機関車の変遷●
(D52最後の集結区でした)
1972年3月,D52 204号機の極太ボイラーから吹き上げる煙と蒸気。
1972年3月,D52・D51共、朝の仕業準備万端です。
1972年3月,早朝の五稜郭区転車台上のD52 414号機。
1972年3月,操車場へ向かうD52 204号機。
1972年3月,D52 404号機は午後出勤か。
1971年7月,D52 56号機の仕業前点検。
1971年7月,D52 56号機の各種蒸気弁調整中。
1972年3月,操車場では既に出発を待つD52 468号機。
1972年3月,D52 468号機はコンテナ車を長万部まで運びます。
1972年3月,D51 221号機出区可能。
1972年3月,D51 593号機も出区待機。
1972年3月,D51 710号機、ここから1年後に廃車となりました。
1972年3月,D51 710号機、少し後方から。
1972年3月,五稜郭区の2線機関庫、火災消失によるものです。
1971年7月,転車台から見た五稜郭区構内全景。
1971年7月,給炭塔付近から見た2線車庫正面。
1971年7月,給炭塔付近のC62 16とC58 148(まだC62がニセコ牽引だった頃です)。
1971年7月,給炭塔付近のC62 16号機。
1971年7月,給炭塔付近のC62 16号機、後方にはD52 56号機がいます。
1971年7月,給炭塔付近のC62 16号機後方から。
1971年7月,給炭塔付近のD52 56号機後方から、前方にはC62 16号機。
1971年7月,D52 56号機の移動中。
1971年7月,給砂中のD52 235号機。
1971年7月,C58 148号機の出区です。
1972年3月,C58 417号機は機関庫外で・・・。
1972年3月,走り装置部分の荒縄が時代の流れの象徴です。スノウプロウも外されています。
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