小樽築港機関区の給炭塔がどこにあったのか、写真に残っていないところをみると、訪問当時
も気がつかなかったようです。とにかく、区内の広さと機関車の姿の無さが強く印象に残って
います。多くの機関車は扇形庫にいました。あまり大き過ぎる扇形車庫も考えものかもしれま
せん(鉄道ファンにとってはですが)。
71年7月の北海道撮影旅行時、C62の牽く急行ニセコに乗って森駅から倶知安駅へと移動しました
が、函館本線山線のC62重連は前補機C62 2号機・本務機C62 16号機でした。その翌日にこの機
関区を訪れた訳ですが、当日も同じ顔ぶれでした。このような運用形態だったのでしょうか。
それにしても、あと2〜3年早く生まれて、一眼レフで豪快な走りを撮りたかったものです。
尚、小樽・岩見沢間には札幌がありますが、その隣接駅である苗穂には千歳線が合流し、そこ
に苗穂機関区がありました。C57,C58などが10数両配置され、千歳線担当でした。訪問予定で
したが、残念ながら列車で眠り込んでしまい機会を逸してしまいました。そこにC57 87号機が
所属していましたが、晩年は宗谷本線の321,324列車牽引の任に当たっていた姿を目撃してい
ます。旭川区のC55の代役ですが、やはり極寒地勤務は機関車にとっても厳しいのです。