曾て多くのD50,D51を抱える長野機関区でしたが、信越本線の電化は1963年には長野まで達し
中央東線も1965年には塩尻まで電化、篠ノ井線も電化・デイーゼルによる無煙化が1970年までに
完了していました。70年代初期には長野機関区は既に運転区となっており、飯山線のC56が最
後の奮闘をしている時期でありました。訪問当時は区周辺の留置線にはD51,C56などの廃車機
が多く並び、その中にはED21の姿もありました。
しかし、名称がどうであれ、稼働機関車がC56だけであれ、やはり長野区は機関区そのもので
す。冬の雨がちらつく中、C56の居る周辺は蒸気機関車の居る風景になんの変わりもありませ
ん。そんな長野区の風景です(僅かな写真ではありますが)。
●長野運転区所属機関車の変遷●
(70年代初頭、既に飯山線C56の基地でした)
1971年12月,長野運転区のC56 131号機、幹線では電機が主役でした。
1971年12月,C56 131号機のテンダー。
1971年12月,C56 131号機。小さい本体です。
1971年12月,機関区に寄り添うようにC56 102号機。。
1971年12月,C56の後方には転車台、機関庫が取り巻いています。
1971年12月,C56 102とC56 131。
1971年12月,機関庫内にはハチロクがいました。
1971年12月,ハチロクのテンダーには、10/27一休と書かれています。
尚、一休とは第一種休車の略で、いずれ再使用前提でカマの火を落とした状態です
これが第二種休車となると廃車前提で、他機への部品補充のための在庫のような
状態です。このハチロクは一休ですが、この先どうなったんでしょう。
1971年12月,機関区の外、留置線にはD51 902が廃車。
1971年12月,機関区の外、C56 125も廃車ですね。
1971年12月,機関区の外、ED21 2号機廃車です。元は富士身延鉄道の210形機関車だったとか・・。
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